盛岡バスセンターの今、昔、そしてこれからを
様々な視点で読み解くルポルタージュ
vol.4 ミュージアム&カフェ編
「自由な音と心に触れる空間」
バスセンター3階へ。パブリックスペースも兼ねた「Café Bar West38」は心地よい音楽が常に流れ、旅行者も地元の人も自由に時間を共有する。そして、カフェと併設するオープンな空間に開かれた「穐吉敏子JAZZミュージアム」。世界的ジャスピアニストとして知られ、活動拠点をアメリカに持つ穐吉敏子さんのミュージアムが、なぜ盛岡に?それは、開運橋ジョニーの店主・照井顕さんが長年温めてきた願いあってこそ誕生したものだ。
音と光に包まれる
オープンなミュージアム&カフェ。
自然光が差し込むカフェスペース
照井さん直筆文字を生かしたミュージアム案内版。
気軽に立ち寄れるミュージアムスペース。
バスセンター3階にあるホテルマザリウム。エレベーターを降りた右手に、「穐吉敏子JAZZミュージアム」の開放的な空間が広がる。穐吉敏子さんは、1948年に19歳で九州から上京し、1951年自己のコージー・カルテットを結成。翌年には渡辺貞夫(19歳)を抜擢して再編。1953年に来日したオスカー・ピーターソンに発掘され、アメリカのジャズ界にデビューした世界的ジャズピアニストだ。
ミュージアムに紹介される穐吉さんのクロニクル、所せましと並んだレコード、コンサートで実際に着用した衣裳、海外で紹介された記事や雑誌資料など、そのほとんどは「Cafe Jazz 開運橋のジョニー」の店主・照井顕さんが約50年にわたって収集、整理したもの。照井さんは、1975年に陸前高田市に日本唯一の和ジャズ専門の「ジャズ喫茶 ジョニー」を開店以降、穐吉さんとの交流を深め、岩手における公演運営にも携わる中、レコードやポスター、雑誌、本人から聞いた語録などのコレクションを自らニューヨークにも足を運びながら集めてきた。東日本大震災で流され、もう一度探し集めた資料もある。国内で手に入ることがない貴重な資料も多いが、自由に閲覧できるようになっている。
「自分がミュージアムをやるというより、誰かがいつかやってほしいと考えていたんです。だから、私はいつでも提供できるように資料は揃えておこうと思っていました」と照井さん。穐吉さんとの出会いは、1974年に遡る。
一枚のレコードからはじまった。
陸前高田市で定時制高校を卒業した照井さんは、学生時代からの音楽好きが講じてレコードコンサートを7年間開いていた。その締めくくりとなる1974年、東京から戻った先輩が1枚のレコードを会場に持ちこんだ。それこそが穐吉さんのジャズレコード『KOGUN(孤軍)』だった。
照井さんが最初に出合った穐吉さんのレコード『KOGUN』。
「聞いた途端、なんだ?この音楽、聞いたことがない、と衝撃を受けました。日本的な要素と洋楽的要素、ありとあらゆる音楽が渾然一体となって、しかも形態はジャズ。すごいな、この人はどういう人なんだろうと思って、そこから穐吉さんのレコード全てを探し買い求めたんです」。
過去の資料も探して読むうち、こんなすごい人が日本でこんな扱いでいいのか?との思いも湧き上がる。
「とはいえ、難しくてなかなか理解が大変でした。まだ若かったから、自分の頭で追いつけないし、理解の範疇を超えるんだけど、やっていることがとにかくすごいってことだけはわかるんですね。穐吉さんの音楽は、聞き流しができなくてね。背筋をピンとして真剣に聞かないとダメだったんです」。
「1980穐吉敏子トリオin陸前高田」の写真。
そんな中、1980年に穐吉さん本人との対面を果たす。その後、陸前高田市にて穐吉敏子公演を開催。以降、深く知るほどに音楽はもちろん、穐吉さんの人間としての魅力に惹きこまれていった照井さん。穐吉さんの来日に合わせて、必ず岩手にきてもらうようになったという。穐吉さんからは親しみを込めて「クレージーな私のファン」と呼ばれる照井さん。念願だったミュージアムが、このバスセンター3階に2022年10月オープンとなった。
ミュージアムで感じてほしいもの。
「穐吉さんは戦時中に陸軍看護婦を志願しましたが、研修が終わり最前線への配属を希望した段階で終戦を迎えたそうです。戦後、日本に引き揚げ別府ででピアニストに。10年後、東京から身一つでアメリカに乗り込んで、努力を重ねて世界一になった人。ビッグバンドとしてのデビューアルバム『孤軍』は、当時フィリピンで発見された小野田少尉の人生と、アメリカという異国で奮闘したご自身を重ね合わせた作品です。穐吉さんの言葉を借りるなら、『自分はジャズをやっているが、それ以前に社会の一員である。社会で起こる出来事に立ち向かわなくてはならない。自分は音楽の世界で表現し、音楽で語るしかない』と。音楽界に限らず、あらゆるジャンルにおいて見習うべき人だと思います」。
ミュージアムを見回すと、「黄色い長い道」の書が目に入ってくる。自身のアルバムタイトルにもなっているが、長く険しい道を歩いた穐吉さんは、2006年にジャズ界の最高栄誉であるNEAジャズ・マスターズ賞を日本人で初受賞。照井さんは、その連絡がきた瞬間に同席していたというから驚きだ。
穐吉さん自筆の書。
2006年最高峰のNEAジャズ・マスターズ賞受賞。
穐吉敏子さんとの出会いから43年。言葉に言い尽くせないその音楽の魅力、人間性、生き方に惚れ込んだ、開運橋ジョニーの店主・照井顕さん。エピソードは尽きることなく、あふれ出てくる。照井さん自身が、聞く相手に対し遠いアメリカで活躍する偉大なジャズピアニストの生き方を、ぐっと身近に引き寄せてくれる素敵なメディアとなっている。
「穐吉さんを通してあらゆる分野を知ることになるし、その背景を知ることで、そうか、だからこの音が!と、さらに穐吉敏子の音楽を深く知ることにもつながります」とにこやかに微笑む照井さん。音楽のこと穐吉さんのこと、照井さんから直接伺えるのも、このミュージアムの醍醐味だ。
展示品は照井さん所蔵のごく一部、半年ペースで入れ替える予定。
心地よい音に包まれるカフェ。
照井さんは、毎週火曜と水曜(11:00〜23:00)開運橋ジョニーを営業。それ以外はCafe Bar West38に在中。
■穐吉敏子JAZZミュージアム/Café Bar West38
1956年に26歳で単身渡米し、日本人で初めてバークリー音楽院(現バークリー音楽大学)に奨学生として入学。以降、アメリカを拠点にしつつ日本のジャズ界を牽引し続ける穐吉敏子さん。彼女のジャズレコード「孤軍」と出合い、その音楽に魅了された「開運橋ジョニー」店主・照井顕さんは、40年以上に渡って穐吉さんと交流。長年の願いを果たすべく生まれたのが「穐吉敏子JAZZミュージアム」であり、3階フロアを訪れる誰もが、穐吉さんの生き方に触れられる。併設する「Café Bar West38」では、毎週土曜日にライブが行われ、臨場感あふれる音を体感できる。イベントの予定やミュージアム&カフェ詳細は公式H Pを参照。